チェンソーマンのなにが面白いのか?

漫画

チェンソーマン。
僕がここ数年読んだ漫画の中で一番好きな漫画だ。

藤本タツキの前作「ファイアーパンチ」も好きな漫画だったけど
後半に向けてカオスさが臨界点突破し難解になりすぎたように感じたけど
チェンソーマンはラストまで完璧な幕引きだった。(第一部として!)

今日はそんなチェンソーマンについて語りたいと思う。

 

チェンソーマンは映画的だ

まず、僕が映画好きというのもあり
チェンソーマンの画角というかアングルや構図が映画的でロマンティックな部分がとても好きだ。
このような構図で漫画を書く人は
ピンポンやナンバーファイブの松本大洋やBLAME!やシドニアの騎士の弐瓶 勉なんかがあげられる(どちらも大好きな漫画家さんだ)

これはデッサンが上手いとかではなく、創造性の世界というか
単純に絵の上手さだけで言うなら村田雄介などの超絶技巧の漫画家さんが上だと思う。

しかしチェンソーマンをはじめ藤本タツキの書く漫画はどことなく
タランティーノの映画を観ているような雑多でありながらスタイリッシュでB級臭い雰囲気を漂わす。

それらは絵だけではなく台詞回しや表情、世界観や雰囲気にも現れている。

はじめてファイアパンチを読んだ時
1話目のタイトルコールを見た時に僕はレサボアドックスのタイトルコールを思い出した。

 

チェンソーマンは欲張っていない

チェンソーマンは第二部が始まったけど
11巻で一度きれいに終わらせている。
人気が出てきたタイミングでスパッと終わった。
おそらくこのくらいの長さで終わらせることを予定しておりそのとおりにしたのだろう。

マキマさんの指の噛む強さのくだりや
アキの名前の由来など序盤の設定と後半の流れがきれいに合致しており
漫画としてはコンパクトにまとめて見事に着地している。

ジョジョの奇妙な冒険のように○部制にすることで
上手に軸を継承しつつ別の物語を紡ぐことができる。

現在第二部が始まっているが藤本タツキのことなので最後までチェンソーマンを出さずに完結させる可能性すら感じる(笑)

もし、欲張って物語を引き伸ばしていき30巻くらいまで引っ張った場合
チェンソーマンは登場人物を増やしては退場させるを繰り返してウォーキングデットみたいになっていっただろう。

 

チェンソーマンは自由が許されている

僕には8歳と5歳の子供がいるが、チェンソーマンを読ませるなんてできない。

そのくらい「自由」である。
ジャンプの漫画でここまでスプラッターが許されるのも珍しい。
最近だと呪術廻戦の渋谷事変もかなりひどかったけど
チェンソーマンは基本渋谷事変状態だ。

それでも許されるのは藤本タツキが冨樫義博並の漫画家であることを認められているからだと僕は思う。

それゆえ、読んでいる側も誰が生き残るのか全く予想ができないし
マキマさんの退場の仕方も韓国のホラー映画かよ!ってくらいイカれた方法だった。

しかし、巷に溢れるデスゲーム系の漫画とは違い
所々で見せてくるずば抜けたエモーショナルな表現やシーン(気軽に復讐を!)
絵画のようなアート性(闇の悪魔の登場シーン)
など常に読み手をいい意味で混乱させてくる。

チェンソーマンはそんな稀代の漫画だと思う。

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