超芸術トマソンとは何か? 無用の美が問いかける都市と人間の関係性

超芸術トマソンとは?

「超芸術トマソン」とは、建築物に付随する意味を持たないが美的な価値を感じさせる構造物のことです。かつて機能を持っていたものが、時代や用途の変化によって無用となりながらも、なぜか撤去されずにその場に“残っている”という状態にあるものを指します。

この概念は、前衛芸術家・赤瀬川原平が1970年代に名付けた言葉で、「超芸術」は“意味を超えた美の形態”、「トマソン」は“元プロ野球選手ゲーリー・トマソン”に由来しています。トマソン選手は「使えないのに高額で雇われた」という存在感から名が採用されました。


トマソンの主な特徴と分類

無用性と保存状態の良さ

トマソンの重要な要素は「役に立たない」という点にあります。ただし、ただのゴミではなく、なぜか撤去されず保存されていることがポイントです。その姿に「何の意味もないのに美しい」という逆説的な価値が宿ります。

種類ごとの分類

赤瀬川原平による分類の一部を紹介します。

  • 無用階段:上っても行き止まり。もはや何の目的にも使えない。

  • 封印されたドア:壁のど真ん中にあるが、開けられない。

  • 窓付きの壁:窓があるのに外が見えない、または完全に封鎖されている。

  • ヌリカベ:建築途中に「何かで塞がれた」ような謎の壁。

これらは“都市の中に潜む偶然の美術品”として観察され、記録され、再解釈されていきます。


超芸術トマソンが現代に投げかける問い

機能性の終焉=存在価値の喪失?

現代社会において、何かの「機能」が失われた瞬間に、我々はそれを廃棄しようとします。が、トマソンは「機能がなくなっても、そこにある意味」を再考させてくれる存在です。
これは言い換えれば、「役に立たない=無価値」という合理主義へのアンチテーゼです。

都市と記憶、アートと無意識

超芸術トマソンは、都市の記憶の痕跡とも言えます。人が建て、壊し、また作り替える営みのなかで、なぜか取り残されたその“構造物”は、まるで無意識のなかの夢のよう。芸術としての意図すらないがゆえに、逆に「芸術とは何か?」という問いを突きつけてきます。


SNS時代と「新しいトマソン」

現代では「#トマソン」や「#無用建築」といったタグでSNS上でも人気があります。
特にX(旧Twitter)やInstagramでは、誰もが“発見者”になり、自分なりの「無用の美」をシェアできます。

さらに最近では、意図的にトマソン的構造を模倣した建築や広告表現も登場しており、サブカルチャーからアートシーンへと展開が進んでいます。


まとめ:トマソンは「役に立たないもの」が美しく見える瞬間

超芸術トマソンは、「役に立たないもの」がむしろ私たちの感性を刺激する存在であり、それは都市と人間の関係性に潜む無意識の美を映し出しているのかもしれません。

無用であるからこそ、美しい。
意味がないからこそ、考えたくなる。

そんな不思議な存在に、次に通りかかったとき、あなたも気づけるかもしれません。

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