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新実在論とは
新実在論(New Realism)とは、主に2010年代以降のヨーロッパ哲学(特にドイツ語圏)で台頭してきた哲学的潮流のひとつであり、現実(リアリティ)や真理の存在を人間の主観や言語を超えて肯定する立場です。
キーワードは次の3つです:
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「外部世界は存在する」
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「真理は構成されるのではなく、出会うものである」
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「世界は解釈以前に“現れている”」
この立場は、ポストモダン以降の「すべては相対的・構築的だ」という思潮への強烈な反動とも言えます。
背景:なぜ「新しい」実在論が求められたのか?
20世紀後半を席巻したポスト構造主義や解釈主義は、人間の認識や言語こそが意味や真理を構成すると考えてきました。
その結果、以下のような極端な主張が蔓延しました:
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「客観的真理など存在しない」
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「すべては社会的構築物だ」
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「現実は言語の外にはない」
しかしこのような立場は、次第に限界を迎えます。
たとえば、気候変動、パンデミック、経済危機など、人間の思考とは無関係に進行する“リアルな出来事”を前に、「すべては解釈」では対応できないという反省が強まりました。
その反動として登場したのが、「新実在論」なのです。
代表的な論者:マウリツィオ・フェラーリス
新実在論の旗手として最も有名なのは、イタリアの哲学者**マウリツィオ・フェラーリス(Maurizio Ferraris)**です。
彼の主張を簡単に言うと:
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世界は「外部」に実在する
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文書・記録・痕跡は人間の意図を超えて意味を持つ
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デジタル社会のログや記録は、客観的現実の証明である
これは「すべてはSNSの演出」といった見方とは真逆で、記録されること自体が真理の一部であるという立場です。
新実在論の3つの基本的立場
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外部世界は実在する
→ 現実は私たちの知覚や意識に依存せずに存在する。 -
真理は人間の認識と独立している
→ たとえ私たちが理解できなくても、真理はある。 -
記録や痕跡は意図を超える
→ データ、履歴、物理的な痕跡は主体を超えて“ある”。
この立場により、たとえば「AIが残した判断履歴」や「ブロックチェーンに記録された情報」も、主観性を離れて新しい“リアル”の根拠となりうるのです。
新実在論とテクノロジー社会
新実在論は、現代のデジタル社会の捉え方にも深く関わっています。
たとえば…
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Google検索のログ
→ 私たちが何を考えたかの“痕跡”が現実として蓄積される -
スマートウォッチの健康データ
→ 意識しない体調変化も記録される=「非主観的な真理」 -
ブロックチェーンによる所有権の証明
→ 解釈の余地がない“存在の証拠”
このように、現代においては**「記録=存在の証明」**という実在論的な認識が強まっており、それを哲学的に裏打ちするのが新実在論です。
デザイン・マーケティングへの応用的視点
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ブランドとは演出ではなく“記録され続ける実体”
→ 顧客のレビュー、NPS、利用データなどの痕跡がブランドを形作る -
インターフェースは意味ではなく“触れられる事実”
→ 情報は「見るもの」ではなく「触れて確認される存在」へ -
ナラティブではなく“現れそのもの”が体験価値になる
→ リアルタイムに生起する“出会い”がユーザー体験の核心
よくある誤解
誤解 | 実際の新実在論 |
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すべての真理は人間の外にある | 解釈は必要だが、それを超える“痕跡”や“実在”がある |
客観性を無条件に信じる立場 | 科学的検証や批判を前提とした実在の再評価 |
ポストモダンの完全否定 | むしろポストモダンの限界を受け止めた“次の一手” |
まとめ:世界をもう一度信じる哲学
新実在論は、現代の不安定で演出過剰な情報社会の中で、
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「本当に信じられるものは何か」
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「人間の意図を超えて残る現実とは何か」
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「真理とは出会うものではないか」
と私たちに問いかけてきます。
それは、**「リアルな世界との関係性を、あらためて結び直すための哲学」**です。
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